中川酒造は鳥取県東部地域では最も古い歴史を誇る酒蔵です。
創業は1828年(文政11年)にさかのぼり、以来、長年伝えられた伝統を守りつつ、丁寧な酒造りを行っています。
日本海に面した鳥取市は冬の時期には非常に寒く、また、仕込水は近隣「源太夫山」の良質な湧き水(弱軟水)で酒造りには適した条件が揃っています。
「強力(ごうりき)」は大正時代に鳥取県立農業試験場により在来種から選抜育成され、特産酒米として一時期には六千余町歩も生産されていました。
強力米の歴史は古く、「山田錦」の祖先である優良酒米「雄町」の更なるルーツであるという説もあります。
昭和20年代の食糧難の時代、反当りの収穫量の少なさ、尋常でない背丈、大粒のための倒伏の危険といった理由から、特産酒米「強力」は昭和29年(1954年)を最後に姿を消しました。
現在、全国の酒造場では「山田錦」「五百万石」をはじめとする酒米が流通していますが、原材料のうえでの地方色はほとんど無いといえます。
フランスのワインを例に取れば、「アペラシオン・コントローレ」(A・O・C原産地統制呼称法)という制度がしかれており、優れたワイン生産地には、その土地独自の葡萄の品種、収穫量、醸造法などを国が規制し、地ワインの地域性、伝統、品質守られています。
日本酒銘柄の独自性、そして地酒の持つ意味もそうあるべきではないかとの想いから、強力米にこだわり復活を願いました。
「先人が残した鳥取独自の酒造好適米を使って真の地酒を醸したい」という蔵元の想いから米の種子を各所で探したが、入手できる種子が見つからず、その後農林省種子センターにわずかに残っていることが判明したものの、あまりに微量のため栽培するまでには至らないなど 強力米復活への道のりは平坦なものではありませんでした。
しかし、鳥取大学農学部で酒造好適米15品種を用いて試験栽培を行った時の品種見本が育種保存してあり、そのなかに「強力」もあったことがわかり、蔵元の想いに共感された当時の農学部教授によって種子が提供されることになりました。
篤農家(元農業試験場長)とともに米作りから挑戦。
低淡白な米質を重視するため、低収穫量を覚悟の上で減農薬・低窒素肥料などを心がけ、見事、酒米「強力」は平成元年(1989年)に復活しました。これを用いて、地元篤農家とともに米作りから挑戦した酒が「いなば鶴 強力」です。
YK35(山田錦35%精米歩合)が主流の全国新酒鑑評会に於いて平成18.19年には全量強力米・精米歩合40%で最高位「金賞」を受賞し、 強力米の優秀さは公的に証明いたしました。